楽しくなくちゃ! 1999/08/01 Sun 「Akira兄、いつになったらホームページできるのよ!!」 また、のむに叱られてしまった (^ ^; Aerosmithのホームページを作る…と最初に公言したのが昨年の暮れだから もう9か月前になる。だいたい、のむと知り合ったのは、その後の今年1月末だ。 彼女のサイトの記事など手伝っているうちに、ずるずると時間が過ぎてしまった。 このAERODYNAMICSの原型は、実は5月には出来上がっていた。 テスト版の評判が、トップページのデザインを除き、芳しくなかったのだ (;;) 僕のホームページ第1号は昨年10月に立ち上がっているのだが、その手法で作ろうと 思ったら「よく分からん」というお声をいただいてしまったのである。しょぼん。 まあ、僕が作ると典型的な「男の子サイト」であって、レコードがどーしたこーしたと マニアックなネタが多くなる。少しは色気をつけようか…などと考えていたら、もう夏だ。 その間に、makinのKEEP IN TOUCHも立ち上がってしまった。 秋までには、S.O.S(too bad)のページもオープンする。 でも、気分がのらないのである。いくら尻を叩かれても、作れないものは作れん! 「作ってる本人が楽しいのがイチバン」。 ここに考えが戻ってくるまで、ずいぶんと時間がかかってしまった。 ホームページなんていうものは、僕がAerosmithのファンだから作るもの。 期待されて作るものでもないし、誰に対して責任を負うものでもない。 (記載事項の誤りなど、常識的範囲内の責任は除いての話だ)。 リクエストも受け付けないくらいのGoing My Wayと決めたら、気が楽になった。 気楽に楽しく、のんびりやりましょ! リハビリしなきゃ! 1999/08/08 Sun 再始動はしたものの、ホームページの作り方を忘れてしまった(^^; 作成ソフトHOTALLを動かすのも、5月の本家(ホームページ第1号)更新以来。 せっかくテスト版で覚えたフレーム編集など、細かいところをすっかり忘れてしまった。 これじゃ、お話にならない。 通常なら2日もあれば作れるアルバム・ディスコグラフィーに4日もかかってしまった。 で、次はシングルである。これも、日本と海外のものを一緒にするとややこしい。 どう処理するか考えていたら、また1日が過ぎてしまった。 しかも前回のカバー(ジャケット)スキャンの際に、レコードの並びがぐしゃぐしゃになり、 資料を出そうとするたびに時間がかかって困る。 もともと試験前になると、やたら本が読みたくなる現実逃避型人間である。 こうなったら、レコード棚とCDラックを一気に整理するしかない。 猛暑の中、アタマにタオルでハチマキをして、汗だくの力仕事が始まってしまった。 ホームページを作るというのは、まことに肉体労働である。 リンクしなくちゃ! 1999/08/09 Mon リンクは大切である。そのページの管理者の考え方を表すものと言ってもいい。 どのサイトをリンク先に選ぶか、それをどんなコメントで紹介するのか。 結局2ページ作ったものの、1日1ページのペース。2晩かかってしまった。 だが、作業の途中経過を見ているのむに、「AERO LINKは目からウロコ」と言われた。 まあ成功としましょ。 次はテスト版をリンク先に見てもらい、記載事項の確認と許可をとらなくてはならない。 ただ今回は英語版をまだ作っていないから、海外サイトへの連絡は手間がかかるな。 クリストファーはメール一発でOKが出るから楽なんだけど。 9日現在、アルバム・ディスコグラフィーとリンクの時点で、サーバ使用領域は651KB。 許容限界は6000KBだから余裕はある。が、シングル盤ジャケットなどの画像を加えると 一気に2000KB近くまでいってしまう計算だ。 それから、ホームページ第1号と同様に、この記録集「ホームページへの道 part.II」の 連載をスタートした(第2号記録集だから、part.IIなのである)。その1はこちら。 このページは、正式オープンまでだれにも公開しないつもりだ。 オープンは、当初の予定・8月8日のちょうど一週間遅れ、8月15日の日曜日。 そういえばきょう、Amazon Comに注文していた「サージェント・ペパー」のビデオが着いた。 勉強しなくちゃ! 1999/08/11 Wed テスト版のリンク集パート2に掲載したサイトに、一斉にリンク申請をした。 やはり、ごうきパパの「ももいろいじばん」関係者はレスポンスが早い! moonweed翁、暴走ごうきパパ、ジャンルカ名誉顧問、もじょきっつぁん、 単九郎さん、鰤パパ、エーハブ船長からも「OKですよ〜」とお返事いただいた。 プログレオヤジ同盟からも認可がおりた。まことにありがたい。 リンクには2つの考え方がある。 1つ目は、リンク・フリーでも、一応断りを入れるべきである。 2つ目は、インターネットで公開させたすることは、WEBリンクという特性を 理解した上で公開しているのであり、基本的にリンクは誰でも自由である。 ………どちらの考え方も間違ってはいない。 “リンク・フリー”と書いてあっても、一応申請するのが流儀である。 見てもらえばわかるとおり、僕は「かなり濃い説明文」を書いている。 それが先方にとって、ストライク・ゾーンの記事であるかどうかは気になる。 なお、のむのLet The Music Do The Talkin'、makin君のKeep In touch、 tizさんのAEROCKSには、既に許可をもらっている。 ところで、ホームページ建設も佳境に入り、寝ても覚めても電車に乗っても、 このホームページの企画・記事を考えている。 ほとんどビョーキだが、久しぶりに「燃えてるぞ〜」という気持ちで気分がいい。 生きてるって実感できる。 makin君と“Maniac Twins”を構成するS.O.S(too bad)君のメージを見た。 まだテスト版で構成もチャチだが、でも「キラリ☆」と光る部分も少なくない。 これで完成したら……。かなり刺激された。こっちも勉強しなちゃ!。 ネット歴2年の差があって、負けたら…たまらん。気合を入れるど〜!! 記事を書かなきゃ! 1999/08/25 Wed てなわけで、8月15日にアップしてから10日がたった。 メーリングリスト・Aero☆Lineでは、「出来たから見てね」とメールを1本流したが、 ほかでは営業活動していない。ホームページ第1号の時の大宣伝とは、えらい違いだ。 理由は、まだこのページが「未完成」であって、満足できることろまで出来ていないから。 もちろん、このペースでいくと1年がかりの仕事だし、時間のかかる連載ものもある。 せめて「ビデオ」「資料本」「コンピレーションCD」「英米シングル」「カバー&ルーツ」 「岩石音楽史」といったメイン企画の、1ページ目だけは開いておきたい。 すべてが連載だから完結はまだまだ先だが、「大風呂敷だけは開こう」戦法である。 とはいえ、最初からある程度「このサイトはこうなる」という方針は見せられた。 一番評判が良かったのは、予想通り「音盤考古学」だ。 ただレコードを並べるだけじゃ、面白くもなんともない。どこまで1枚のレコードを 歴史やウンチク、バカ話も含めて語れるか…。この手の手法は得意である。 最初からこういう企画を作っておくところが、僕の僕らしい(?)ずるがしこいところか。 「この記事の先が読みたい」と思わせなくては、リピーターは確保できない。 今週は忙しいが、何とか2ページ(しかも両方中身の濃いページ)をアップできた。 「英米シングル・その1」「岩石音楽史・ヤードバーズ編」である。 8月25日現在、サーバ使用領域は1353KBとなった。 正しく書かなきゃ! 1999/09/01 Wed 8月29日に来日情報がAF1・ニュースページで公表されたので、速報アップ。 のむにもICQで連絡をとり、うちの翻訳をそのまま使ってもらった。 データ流用で、こっちがアップして約30分で向こうにも表示が出た。 こういう時の「速報性」「連動性」が、インターネットの持ち味だと思う。 急いで翻訳したため、とても文章が稚拙で、その後2回改訂をしたが(苦笑)。 ただし逆に言えば、インターネットではデマを流すのも簡単ということになる。 例えばチェーン・メール。 今年流行したヤツで「TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!で、どこまでメールが つながるか実験をしています」なんて文章の迷惑メールがあった。 これは有名だったから、僕の手元に届いた時は即時抹殺したけどね。 「正しく書く」ということは、こういう情報発信型サイトでは大切だ。 うちのリンク集にあるような百戦錬磨のオヤジたちのサイトは安心だが、 エアロスミスを扱ったページでも、かなり文章・情報がヘンなのがある。 例えば、セカンドの「飛べ!エアロスミス」について、以前こんなのを見た。 「全米チャート74位。エアロスミスの最も売れなかったアルバム(笑)」 74位は正しいが、最も売れなかったは間違いだ。 セカンドは発売当時、チャートのピークポジションこそ74位と低かったが、 当時のヘビーなプロモーションツアーが成果を挙げ週5000枚前後売れ続け キャッシュボックス・チャートで1年以上、68週チャートインしたロングセラーだ。 当時でゴールドディスク(50万枚認定=その後200万枚認定)になっている。 つまり、その情報を書いたバカヤローは、チャートの読み方を知らないってことだ。 意見を述べるのは自由だが、(笑)つきで間違った情報を流してはいけない。 *どのページかまで書くと個人中傷になるので、ここでやめます。 もちろん、うちのリンク集には掲載しておりません。 うちでは歴史ものページもあるので、下調べはできる限りやるようにしている。 こういう事情をもっと知りたい人は、あきら教授のチャート分析をどうぞ。 で来日情報に戻ると、そのAF1のニュースページ(の新しい部分)が翌日には 消滅してしまった。これは結構あせった。いろいろ手を尽くして聞いてみたら、 来日情報自体には間違いがなさそうなので、そのまま掲載を続けることにした。 本サーバ使用領域は、無駄なファイルを除去して1341KB/6000KB。残り4659KB。 更新しなくちゃ! 1999/10/06 Wed このコーナーへの追加は、丸1か月ぶり。サーバ使用領域も2000KBを突破した。。 何をしていたかというと…、毎日「怒濤の」更新をやっていたわけである。 とにかく、来日情報コーナーにいろいろ飛び込んでくること、飛び込んでくること。 東京10月2日、大阪10月3日の発売まで、何回「先行予約」があったことか。 毎朝、早めに起きて新聞をチェックして、あちこち連絡をとって…と、もう大変。 イチバンすごかったのが、9月19日(日)の早朝。 熱く語れ!の掲示板に「新聞発表」の文字を見て、東京の朝刊には載ってないことから ちょうどチャットにいた“マニアック・ツインズ”大阪担当のS.O.S.(too bad)君に 「コンビニ行って、朝日新聞を買って来い!」と命令しちまったんである。 気のいいbad君、「待っててなー」と書き残して、すぐチャリンコで町に飛び出し、 1時間後には、ウチのホームページに朝日新聞の広告が載ってた。 翌日には東京でも新聞発表と、このへんはもう「夜討ち朝駆け」状態。 そして、ウチのホームページへのアクセス数も鰻登り。積極的に営業をはじめ、 1日250ヒットも当たり前になってきた。 自宅にPC持ってなくて、会社で仕事始めにまずチェックという組も増えて、 朝の10時前に50ヒット、昼休みには100ヒットとカウンターが上がる。 授業が終わって学校でアクセス組も出てきて、夕方も結構にぎわう。 普通ならテレホーダイの深夜組が幅をきかせるWEBも、こと情報となると 朝昼のほうが多いんだから、愉快なもんだ。 とにかく来ていただいた皆様には、何かお土産を…と、こっちも大サービス。 発売日ごろに「チケットとれました」というカキコミやメールがあって、少しは お役に立てたのかな…と思う。 てなことやってたら、1か月が過ぎてしまった。 本当は記事も書きたいのだが、来日情報に時間をとられて作業が進まん。 「新譜情報−This Years Model」と「英米シングル」の追加が精一杯。 次の福岡・名古屋の発売まで時間があるので、気になっていた部分の オフィシャルビデオと本(参考文献)を一気にやっつけてた。 イチバン時間がかかったのが、シングル・アルバム+年間チャート編。 誰かが先に作っていれば、それを踏み台に時間短縮が出来るのだが、 この形式の多角的分析チャートは、クリスのRock This Wayにもない。 やっぱり誰も足を踏み入れないところに挑戦するってのは大変ですよ…。 それだけにやりがいもあるが、なんとアップまで15時間かかってしまった。 アップした順番は逆になるが、アメリカ盤シングル・カタログも手間がかった。 これは自腹を切って、海外から現物を輸入したもんね(ま、趣味だけど)。 レコード番号、そのB面を調べるだけで2か月かかりだ。 こういう部分が書ける年季の入ったロートル選手(私みたいな暇人?)が、 エアロスミス・ファンの場合には日本に少ないってことなんだろうな。 海外じゃ、結構オジサンもホームページ作って頑張ってるんだけど。 こういう更新も、いつかはストップする。 時間的な理由、健康的な理由もあるかもしれない。ネタ切れもある。 ただ「更新がストップした後も、お客が楽しめるサイト」にするのが目標だ。 例え更新されてなくても「見るものがあったな」と思ってもらえるレベルに 達すれば、更新終了しても、WEBの残骸ではなく、遺産として残る。 その合格点に達するまでは、頑張らなくちゃね。 さて、「ホームページへの道 part.II 」第1章はここでおしまい。 第2章では、最近問い合わせの多い「ホームページの作り方」を中心に 話を進めましょうか。 もちろん「苦闘の記録」もまた、ことあるごとに加筆しましょう。 ホームページへの道、まだまだ続きます。
連載が中断になっております。すんまそん。 |
管理人室バックナンバー1999〜現在 |
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連載期間 | おもな出来事 |
2002年上半期 | 狂熱のJPP来日後始末のころ。パソコン買い換え。26万達成 |
20万ヒット記念 | 2001年11月。オープンからの出来事を回顧録風にまとめました |
2001年版 | 新作JPP発売。15万ヒット。JPPツアー発表+来日前狂想曲。 |
2000年版 | 第2回サーバ引っ越し。5万ヒット御礼。開設1周年。ネタのない日々 |
ホームページへの道2 | 1999年。管理人室の前身企画。当サイト創立時の記録を連載 |