Back to 1977
エアロ初来日、あの頃の風景・・・
恐怖と魅力の武道館コンサート
〜1977年、ロック少女事情〜
text byらん
    いろいろなコンサートに行ったけれど、エアロスミスの初来日の
    コンサートはいろいろな意味で印象に残っている
    ・・・と言っても内容はすっかり抜け落ちている。

    友達から、このバンド、いいよ!と言われて聴くようになった。
    わたしのどこかに、アメリカのハードロックバンドかぁ・・・なんて思いがあったけれど(*)
    聴いてみたら、それは凄い!
    特に「Rocks」の途切れること無いあのグルーブ感が心地よい。ちょうど冬休みかなんかで
    アルバイトしていた時だったから、休憩時間は、カセットテープレコーダーの小さいヤツで
    聴きまくっていた・・・(ウォークマンなんていうのが出たのは、その3年後-1980年-のことでしたね。)
    そして来日ステージが見れるなんて!
    「Rocks」が大評判だったので、コンサートのチケット取りも大変になることは
    十分予想できた。

    当時チケットを取るには、ネットや電話予約なんてもちろん・・・無い。(*)
    整理券をもらいに走ることもしばしばだったが、整理券というものが必ず出ると
    は限らないので、入ってくる情報に振り回されることも多かった。
    エアロの場合、わたしたち5人の仲間は徹夜作戦に出た。
    徹夜で必ず並んだのは、新宿東口のチケットビューロー。
    その頃(今でもそうかもしれないけど)新宿の表以外は汚かった。
    東口は確かに人通りも多かったし、遅くまでそれが絶えない。
    酔っ払いがのぞきに来ることもあったし(ホームレスと勘違いして・・・)、
    お巡りさんも事情を聞きに来たこともあった。

    わたしたちはチケットビューローの入り口の脇に陣取って、あくる朝開くのを
    ひたすら待つのみ。
    徹夜する人は多い時でも10人程度。徹夜するにはちょっと寒い季節になっていたと思う。
    いっしょに並んでいた人たちと協力して、ダンボールや新聞紙を敷く・・・。
    実を言うと、わたしは徹夜しなかった。終電で帰って始発で行け!
    ・・・と言う親の言うことには逆らえず、止む無くサポート組に回った。
    5人のうち、2人が徹夜してくれた。

    あくる朝始発で駆けつけると、徹夜組の人たちは疲れた顔しながらも
    和気あいあい。
    楽をさせてもらったけど、楽しそうな雰囲気がちょっとうらやましかったりもした・・・。
    他にそんな感じで徹夜した・・・というのは、レインボーだったと思う。

    余談になるが、その頃のわたしの「コンサートへ行くぞ!」ファッションといえば、
    つぎはぎのベルボトム。
    それに高さ15cmの靴履いて行っていた。
    その頃のロック好きな女の子には、もうひとつ、憧れのファッションがあった。
    新宿紀伊国屋ビルの1Fにある洋服屋・・・・(確か・・・EMAだったかな)の
    くすんだ色のフリフリのワンピース、その服を着てコンサートに行くのだ。
    しかしその格好をするとモロ・・・間違えられる・・・ということもあったようだ。

    徹夜した甲斐もあって、席はアリーナのDの真ん中ぐらいだったと記憶している。
    その頃、コンサート当日の夕方、九段下の駅を降りるともう一種異様な
    雰囲気が漂う。
    今でこそ少なくなったロックにいちゃんがわんさか歩いてるのだ。
    もうそれを見ただけで、乙女の胸はわくわくしたものだ。
    始まる前のざわめきも大物になればなるほどかきたてられる物があり、
    エアロの時は初来日らしからぬ・・というか、その頃から観衆の期待が大きかったようで、
    いつになく興奮した雰囲気だったのを覚えている。

    そして、場内が暗くなる・・・・・・と大歓声。1曲目のイントロが鳴り出すと、
    一斉に前へと走り出す。
    武道館は一番前の座席からステージまで結構距離があり、
    そこをめがけて走る!走る!
    当時ももちろん場内警備のおにいちゃんがいたけれど、今と違って弱かった。
    一応制止はするけれど、友達の「どいて!」の一言に負けてしまうくらいだ。
    もうまわりのことなど気にしていられない。
    友達とも完全に逸れてしまっても、それにも気をとめていられない。
    わたしはコンサートの途中で倒されて踏み潰されそうになるし、終わった後、
    席に戻ったら、友達が靴が片方無いーー!と騒ぎ、探し回り
    結局ステージすぐ下に転がっていたのを救出した。
    他に何足かあったのが笑えた。

    レインボーの時、札幌で死亡事故が起きた(*)。
    やはり前に出て行って押し倒されての圧死。
    それからというもの、途端に警備が厳しくなり前に行こうにも行かして
    もらえなくなった。
    白いフェンスが物々しく置かれ、それを苦々しく見ていたものだ。
    が、エアロの時ひょっとして周りの人が引き上げてくれなかったら
    ・・・・と思うとやはり怖い。

    ひとつ、武道館でないと味わえない光景もあった。アンコールの時だ。
    みんなの「アンコール!アンコール!」という声と共に、どこからともなく
    ポツン、ポツンとまるでろうそくを灯したような光が浮かび上がってくる・・・。
    それが会場全体に広がって、それはもう綺麗!すごく幻想的だった。
    その正体は、みんなが持ってるライター。それを暫くの間つけっぱなしにするのだ。
    高校生の頃に初めて見た時は感激だった。
    警備が厳しくなってなってから、アリーナでちょっとでもつけようものなら、
    即すっ飛んできて注意されてしまう。
    それから段々とそういう光景も見なくなり・・・・今では無いんだろうなぁ・・・。

    そんなこんなでズラズラ書いてしまった。
    肝心なコンサートに触れずに終わってしまい恥ずかしい思いもする。
    でもこれを書いているうちに、あの頃のあの風景、あの空気が蘇ってくるみたいで、
    楽しい思いを
    させて頂いたことに感謝している。
    わたしにとって忘れられない時代70年代は、パソコンも携帯もない、
    確かに今から思えば古めかしい
    アナログな時代だったかもしれない。それでも若かったから・・・の一言では
    言い尽くせない、魅力的な時代・・・愛すべき時代だった。

    編者補足
    (*)アメリカのハードロックバンドかぁ・・・なんて思いがあったけれど
    1976〜77年当時、ハードロックはイギリスの伝統芸能。女子高生にウケるバンド、スターははほとんどイギリス産で、アメリカン・ハードはあまりカッコよくないもん…というイメージがあった。そのイメージを打破したバンドの1つが、エアロスミス。CBSソニーの野中規雄ディレクターも、同様の発言をしている。
    (*)当時チケットを取るには、ネットや電話予約なんてもちろん・・・無い。
    電話予約のチケットぴあがスタートしたのが1985年ごろ。それにより、徹夜で並ぶロック少年少女の姿は東京から姿を消した。
    (*)レインボー札幌女子高生圧死事件/1978年。
    マスコミや新聞でも大きくとりあげられた。この事件以後、ロックコンサートの警備は厳しくなり、座席指定会場では前にかけだすことが厳重に禁止されるようになった。


    ↑初来日チケット(当時はバンドごとにデザインが違った)
    ほなみ姉ちゃん提供



Back to 1977 the 1st JAPAN tour edition
エアロ初来日、あの頃の風景・・・恐怖と魅力の武道館コンサート / text by らん
? (まだ書いてるらしい)

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