ロックスの「金帯」を作った男 |
このインタビューは…
【はじめに】2004年7月4日、 紙ジャケ19タイトル+「パンドラの箱」発売記念、エアロスミス来日前夜祭として、 SONYのファン・イベント「LET THE MUSIC DO THE TALKING〜熱く語れ!」が行われた。 イベントの目玉は、エアロスミスを日本に紹介した男、初代担当ディレクター・野中規雄氏と、 音楽評論家・伊藤政則氏の、90分に及ぶトークショウ。 (この模様は、後日SONYさんのサイト等で紹介予定)。 野中さんは、CBS/ソニーの倉庫で埋もれていたエアロスミスを発掘、1975年に日本に紹介し、 人気バンドに育てたという、いわば伝説のディレクター。 その後も、チープ・トリック、クラッシュなどを担当、ソニーの名物ディレクターとして活躍したお方。 1975年に日本デビュー盤「飛べ!エアロスミス」を発売した野中さんのインタビューは、 これまでにも『ウォーク・ディス・ウェイ』(通称・黄表紙。シンコー・ミュージック刊)や、 紙ジャケ19枚購入者特典の「ナイン・ライヴス」PRパンフレットなどにも掲載されている。 ※「ナイン・ライヴス」PRパンフ編は、サイト内に記事再録があるのでご一読を。 このインタビューは、トークショウの2日後、7月6日に行われた。 トークショウで語り尽くせなかった部分、時間があいまいになっていた部分に焦点を当てて、 もう1回、野中さんにお話をうかがったものである。 取材時間2時間、原稿はワード標準で20ページ。 なるべく話題を整理しながら、予定4回に分けてご紹介します。 資料画像が一部間に合っていませんが、そこは後日追加します。 エアロスミスが帰っちゃわないうちに、公開スタート。 |
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WALK THIS WAY -ウォーク・ディス・ウェイ
恋川碧子&ルーディーズ・クラブ編シンコー・ミュージック/2500円/ISBN4-401-61555-7 ●「エアロスミス自伝−WALK THIS WAY」と同名だが、こちらの出版のほうが1年早く1997年2月発売。。 ●「<お説教><やりたい気持ち>…、曲目の邦題は私がつけた」という言う野中規雄インタビュー掲載。 Amazonジャパンで取り扱い中。 |