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StevenとJoeの出会い、そしてピーター・グリーン |
1969年の夏、スティーブン・タラリッコはニューハンプシャー州サナピーにあるクラブ、ザ・バーンに流れ着いていた。2枚のシングルを出したChain Reaction、続くThe Chainが不発に終わったスティーブンは、ザ・バーンのステージに立ったギタリストと運命的な出会いを果たす。彼の名はThe Jam Bandのジョー・ペリー。トム・ハミルトンもThe Jam Bandのメンバーだった。 はじまって2分もすると、連中(The Jam Band)は完全にノリノリだった。Red House、ジェフ・ベック、MC5のRamblin' House。ジョー・ペリーは髪の毛を目まで垂らし、黒い角縁の分厚いメガネをかけている―――すごく不格好なんだけど、うたいだすと信じられないくらいカリスマ性格があった。そこでバンドは、Rattlesnake Shakeに入り、小屋がまるごとロックしはじめた。はっきりいって、当時のジョーはチューニングのまともにできなかったけど、バンドははいずりまわるようなフリートウッド・マックのリフを見事にキメて、見るとスティーヴンは、口をぽかんと開けていた。すっかり青ざめて、ジョーから目が離せなくなっていた。 ★ザンク・パッカーの証言(エアロスミス自伝−Walk This Way日本版P.70-71) あいつらには、おれがそれまでにやったどんなセックスよりもいいグルーブがあった(中略)。Rattlesnake Shakeって曲の途中で、おれは実際に天啓としか言いようのないものを経験した。ジョーの弾き方、あの機関車みたいなフィーリングに、 すごく感じるものがあったんだ。 ★スティーヴン・タイラーの証言(Walk This Way日本版P.98) このRattkesaneke Shakeは、Peter Green's Fleetwood Macのナンバーである。 次は、ジョーがボストン・ティー・パーティーについて語った場面。 ビッグなバンドは、みんなあそこでやった。―――ジェフ・ベック、ドアーズ、ビッグ・ブラザー(&ホールディング・カンパニー=ジャニス・ジョプリンが在籍)、スピリット、レッド・ツェッペリン、MC5、ザ・フー。 そして、なんといってもフリートウッド・マック。イギリスのブルース・バンドで、1968年から1969年にかけては、ほとんどボストン・ティー・パーティーのハウスバンドだった。グループの創立者でギタリストのピーター・グリーンは驚異的なプレーヤーで、エリック・クラプトンやジミー・ペイジにもぜんぜんひけを取らなかった。いつもティー・パーティーのステージにのはじに立って、ピーター・グリーンがStop Messin' Round、Another Woman、Oh Well、Searchin' Fror Madge、Rattlesnake Shakeなんて曲をやるところを、じっと見てたもんだ。 ★ジョー・ペリーの証言(Walk This Way日本版P.96-97) 続いては、ROCKS製作時の裏話。 (Peter Green's Fleetwood Macの)Searchin' For MadgeをもとにしたTit For Tatというのもあって、これが〈地下室のドブねずみ〉Rats In The Cellarになった。 ★ブラッド・ウィットフォードの証言(Walk This Way日本版P.297) |
Rattlesnake Shake / Peter Green's Fleetwood Mac | ||||||
スティーブンとジョーを結びつけた1曲。 それは、アマチュアバンドのThe Jam Bandでジョーが弾いていたRattlesnake Shake(がらがら蛇)だったという。 この曲は、エアロスミス最初のライブでも演奏された(Walk This Way日本盤 P.132参照)。スタジオ録音はないが、Pandora's Box(Disc1- track13)に1973年秋ごろのライブが10分28秒にわたり収録されている。JUST PUSH PLAY tourでも、ニューヨーク(Jones Beach)公演で再演されるなど、今も時々演奏されている。Train Kept A Rollin'に比べると登場回数が少ないが、エアロスミス結成秘話を「想像する」ときには欠かせない曲だ。 そう書くと、聴いてみたくるでしょ? でも、ここで終わっては夏期講座じゃないよな(笑)。 もう一歩踏み込まないと。 前回のCovers、岩石音楽講座Fleetwood Mac編では、スタジオアルバムを紹介しただけで終わってしまったが、調べてみると当時のライブ録音がいくつか発売されている。その中でも重要なものが2つ。 1つは1968-1970年にイギリスBBCラジオに出演したときの録音集、もう1つはLive At Boston Tea Party(ジョーの証言にも出てくるボストンのライブハウス)で、1970年2月に録音されたもの。ちょうどこの日のライブを、スティーブンやジョーが見ていたかどうかはわからないけど、近い時期であることは間違いない。
このRattlesnake Shakeという曲は、Fleetwood Macの1969年9月発売のアルバム「The Play On」に収録されている。Pandora's Box収録のエアロスミスの演奏は、Rattlesnake ShakeとSearchin' For Madgeという曲をメドレーにして演奏しているのだが…。Boston Tea Partyのライブを聴いたら、本家Mac自身がくっつけてメドレーで演奏してました!(アルバムThen Play Onでは、独立した曲の扱い。)。 1970年ごろはMacのライブ・バージョンはまだ発売されていなかったわけだが(1985年に発売)、スティーブンやジョーは見てきたライブをそのまんまコピーしていたわけだ。この「好きなバンドはコピーしまくる!」という、エアロスミスの原点が垣間見られるようでオモシロイ。 補足1) ジョーもスティーブンも、Shake-Madgeのメドレーの形で、「Rattlesnake Shake」と言っているようだ。細かく言うと、Pandora's Box収録では、4分30-40秒のところで、Rattlesnake ShakeからSearchin' For Madgeに突入する。このフレーズは約3年後、Rocks録音時にRates In The Cellarの中で復活、曲の終わり方もそのまんまRatsのフィナーレとなっている。 補足2) Rats In The Cellarを演奏する時、よくスティーブンが「エアロスミスのフレッシュ・ブルース」と紹介していた。ハードロックの代表格のRatsがなぜブルースと言われるのか…は、この経緯を知ってると納得できる。Permanent Vacation tour(1987-1989年ごろ)のライブでは、Ratsが8分程度の長めバージョンで演奏されていたが、Peter GreenとJeremy Spencerのギターバトルを再現するかのように、ジョーとブラッドがMadgeのフレーズをてんこ盛りで弾きまくっていた(1968-1970年のMacは、Peter、Jeremy、Danny Kirwanのギタリスト3人+ドラムMic Fleetwood、ベースJohn McVieの5人組)。 補足3) Fleetwood Macは、1960年代後半のイギリス3大ブルース・バンドと言われる。が、ライブでは1950年代のロックン・ロール、ロカビリーを能天気に歌う一面もあった。その持ち唄の1つが、Great Balls of Fire(火の玉ロック/原曲ジェリー・リー・ルイス)。 エアロスミス初ステージの演奏曲目の中に、Great Balls of Fireがあるが、これはFleetwood Macのバージョンをカバーしたものだろう。「好きだったバンドがカッコよくカバーしてたから、俺たちもやってみました」と推測されるものは他にもある。Live Bootleg!のTrain Kept A Rollin'のギターソロ(夜のストレンジャー/Stranger In The Night)はジミ・ヘンドリックス、同じく70年代にTrainのメドレーで使ったBat Manはキンクスがライブで演奏している。こういう「小技」までまねきってしまうロック小僧精神が、エアロスミスの原点なのかもしれない。
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エアロスミスがカバーした曲 Rattlesnake Shake Serchin' for Madge / Fight For Madge (Rats In The Cellarの元ネタ) Oh Well Stop Messin' Round (ジョーがステージで歌う持ち唄) Great Balls of Fire |