あきら教授のエアロ夏期講座
ずーっと頭を悩ませていた謎や疑問を徹底的に究明するエアロ夏期講座。
8月15日まで連日更新に挑む無謀企画。さて、続くかな?

※AERODYNAMICS一周年記念企画として、10日間連続掲載しました。

<2000年8月6日〜15日連載。改訂ver 1.2>
1. 疑惑のメドレー
2. 誰が2曲をつないだか?
3. 子豚の研究/LIVE BOOTLEG!・その1
4. スタンプの研究/LIVE BOOTLEG!・その2
5. トリックの研究/LIVE BOOTLEG・その3
6. カバー!カバー!カバー!・その1
7. カバー!カバー!カバー!・その2
8. 天使のミステリー(AORミックスの謎
9. 1977年のドロー・ザ・ライン
10. ジャック・ダグラスの伝説



第1限
疑惑のメドレー

Roar Of The Dragon tourで演奏された曲は、Mother Popcornか?
先の日本公演で、Walk This Wayの前にメドレーで演奏されたファンク・ナンバー。
数々のブートCDはもちろん、WOWOWで放送された中継のテロップ、セットリスト(AF1の会報などに掲載)でも「Mother Popcorn」と紹介されている。普通なら疑いようがないの事実だが、「Live Bootleg」の中で演奏されている「Mother Popcorn」と曲も歌詞も違いすぎないか?

James Brownのベストを聴くと答えは明白。
実はエアロスミス、どちらでもJames Brownの曲を2曲ごっちゃに演奏している。

Live Bootlegで演奏されている曲は、Mother Popcorn〜Hot Pantsのメドレー。
--曲のまん中、David Woodfordのサックスソロの後で「Hot Pants」のサビの部分、She Got To Use What She Got, To Get What She Wantsが出てくる。
Roar Of The Dragon tourではHot Pants〜Mother Popcornと逆編成。
--イントロからHot Pantsを決めて、最後にちょっとだけMother Popcornがくっついてくる。

このHot Pants〜Walk This Wayの連結というのは、古くは1994年のMTV VMA(ビデオ・ミュージック・アウォード)で演奏しているそうだ。

エアロスミスのデータの間違いっつーのはたくさんあって(古くはLive Bootlegのレコードバッグの録音日時+場所に狂いが多い)、僕らみたいな物好きなファンの頭を悩ませ続けているのである。

教訓1)
エアロスミスのデータは、一度は疑ってかかろう!

追記)
これを書いていたら、音源学術調査隊AS1のTacチーフ研究員から、California Jam 2およびLive Bootlegに収録されているDraw The Lineの録音は、Detroitではなくて1978/03/26 : Upper Darby, Pennsylvania Tower Theatre(ブートレグCD、THE ULTIMATE KILLER SHOWに収録)とツッコミが入った。あわてて聞きなおしたら、そのとーりだった。あちゃー。

Tacチーフ曰く「ついでにCal Jam 2の方は、本当はGet It Upから続くギターソロも聴けるって書いてったてや〜」

たしかに、Live BootlegよりCalifornia Jam 2のほうがイントロ前のソロ部分が長い。
あのDraw The Lineはステージも後半、Get It Up-Draw The Line、Same Old Song And Dance、最後のToys In The Atticとなだれ込む部分の曲である。



第2限
誰が2曲をつないだか?

Rats In The Cellarの元ネタ、Rattlesnake Shakeの研究
「ラトルスネイク・シェイク」というのは、3枚組「パンドラの箱」で陽の目を見たエアロスミスの1973年ごろのライブナンバー。原曲はフリートウッド・マックで、初期にはステージでよく演奏していたそうだ。この曲の後半部分に後年「地下室のドブねずみ」に使われるフレーズがあって、最初に聴いたときは大発見!と興奮したものであります(Rattlesnake ShakeというブートレグLPで聴いていた)。

それについて、半年前に書いた原稿を訂正。

Fleetwood Macの説明部分から引用。
●1974年ごろのエアロの「Rattlesanake Shake」だが、後半戦に入ってのギターバトルで
「Rats In The Cellar」の最後で使われる、♪じゃかじゃかじゃかじゃかのフレーズが出てくる。そのフレーズのアイデア自体はずっと前からあって、1976年「ロックス」の中の「Rats In The Cellar」でやっと「出口」が見つかったということなんだろう。

>「Searching For Madge」を基にしたTit For Tatというのもあった。これは地下室のドブねずみになった(ブラッド・ウィットフォード/エアロスミス自伝P297参照)
これは間違いではなく、情報追加。問題はこの次。

再び引用
● その「♪じゃかじゃかじゃかじゃか」原型が、アメリカ盤LPと現在のCD「Rattlesaneke Shake」の後ろに、メドレー風につながっている「Searching For Madge」「Fighting For Madge」という2曲。この2曲はジャム・セッション風のインストで、イギリス原盤(上の表の左)ではバラバラだったのに、アメリカ盤再編集の時点で3曲が並んだ。●このアメリカ盤並びの3曲を、エアロスミスはライブで演奏する際に1曲の「Rattlesnake Shake」に改良してしまったと推測される(こういう推理もファンの楽しみだ!)。

これは事実誤認でした 本家のフリートウッド・マックが、この2曲をメドレー形式で演奏してる。エアロスミス(というかジョー・ペリー)は、フリートウッド・マックが演奏していたとおりに完全コピーしたわけだ。
今年になってアメリカで発売された「Peter Green's Fleetwood Mac : Live At The BBC」という2枚組CDでは、1曲目に飛びだしてくるRattlesnake ShakeがSearching For Madgeと続けて演奏されてました。

記事「Covers」は、調査不足の記述が多いのでただいま修正中。この夏期講座連載終了後に更新予定です。



第3限
子豚の研究/LIVE! BOOTLEG・その1

ブタ・ぶた・子豚に葉巻ブタ…の巻
第1〜2限が重箱の隅をつつくような話題だったので、ちょっと方向転換。

A Little South Of Sanityの日本盤ライナー(text by伊藤政則)にいわく。
『この強烈な2枚組は約20年前の「LIVE! BOOTLEG」と呼応する。それを意識してかCD盤には'70年代にブートレグメーカーとして一世を風靡したあの有名なブタのロゴにそっくりのマークがプリントされている』

たしかにそのとーりなんだが、このライナーを読んだ95%のファンはわかんないだろーなー。
これでピン!とくるのは、1970年代から西新宿を徘徊していた僕のような世代か、最近の「貴重盤屋」に出入りして散財している浪費おーじ(および浪費皇帝などの浪費ファミリー)ぐらいのものである(笑)

というわけで、イメージを3連発で載せてみました。

左) リトル・サウス・オブ・サニティのCDレーベル面
中) TMOQの初期レーベル・横ブタ
左) TMOQの後期レーベル・葉巻きブタ(スモーキー・ピッグ)

これを連想させるっつーわけだ。

Live! Bootlegが出たとき、「こだわってるなぁー」と笑ったもんだが、約20年たってリトル・サウス・オブ・サニティを見てたときは「まーだやるかい、あんたら」と、苦笑してしもーたげな。しかもCD盤面の文字(その書体+にじみ方)も、なかなか凝ってるんだわ。本物の雰囲気が出てる。

TMOQ[TRADE MARK OF QUARLITY]というのは、1971-1974年ごろ(推測)に活動したアメリカのブートレグ・レーベル。ブートの元祖ではないが、第1世代の1つに数えられている。
1969-1971年ごろ、草創期のブートレグの名盤リイシューが多かったのが、盤のプレスは雑だわは、音質だって決して良いといえないのに、TRADE MARK OF QUALITY(品質保証印)って、あーた、なんとも人を食った話。

この「ブタさんマーク」はブートレグの象徴っつーくらい有名になってしまったのだ。CDの時代になっても、このマークを真似るメーカーは、The Swinging Pig Recordsを筆頭に後を絶たない。

ところで、ここまで書いておいて…念のために
TMOQは1972-1974年ごろに活躍したメーカーである。
AEROSMITHのブートで、TMOQ(本家ブタ印)製品はない
エアロが有名になってから1973-1974年の音源も出たが、それはもっと後年のことだ。

僕が知りうる限りでは、AEROSMITHブートの日本上陸1号は以下の2枚。
ともに1975年8月のニューヨーク公演(ラジオ番組キング・ビスケット・フラワー・アワーで10曲放送)を、兄弟レーベルが曲目を変えて2枚に分けて出した…というものである。

左) LOOK HOMEWARD ANGEL(ZAP盤)
右)ROCK THIS WAY (TKRWM盤)

どこがブートレグに似ていたか(みかけ編)が終わったので、
次回は「LIVE ! BOOTLEGの編集は、どこを似せていたか?」音編に続く。

●おまけ
下のブタ印を見ただけでてどのレコードからスキャンしたか、一発で見抜けるブートの達人はかなりいると思う。ヒントは、ともにZEPの1973年録音のブートから。

補足)Tacチーフ研究員から「エアロスミスのブートレグLP『STAMP』は、レーベル面がブタ印だ」と指摘があった。あれはマトリックスから見ても本家TMOQ営業終了後のプレス。オリジナルTMOQの製品は、第4限で紹介するHOT WACKS-The Last Wacks掲載の約170タイトルだけと思われる。




第4限
スタンプの研究/LIVE! BOOTLEG・その2

なぜLIVE! BOOTLEGのカバーは、ハンコ印なのか? ぺったん!
第3限はウケたようである(Fan Room参照)
特にブタ印の話は、最初からみぃに説明することを念頭に置いて企画した。現在は一時公開中止になっているが、みぃのAERO-WORLDのディスコグラフィー(リトル・サウスのコメント)でブタ印は昔のブートレグを連想させるらしいが…なんのことやらよーわからんと書いてあったし。

こうやって、直接視覚的にみせなきゃわからんわなー。

脱線ついでに、きょうはLIVE! BOOTLEGはナンであーゆーカバーなのか…の話。
これもイメージ3連発でいってみよー。

左) おなじみ、LIVE! BOOTLEGのカバー
中) スタンプカバー(TMOQの初期盤からLIVE ON BLUEBERRY HILL)
右) スタンプカバー(RUBBER DUBBER盤 LA 9-4-70)

初期のアメリカ製ブートレグLPというのは、こういう「白地ジャケットに、バンド名と題名がスタンプ押し、ぺったん!」だったのである。

もういっちょ!

上) AEROSMITHのブートレグ、LOOK HOMEWARD ANGELの曲目部分
下) LIVE! BOOTLEGのレコードバッグ(内袋)の曲目表

タイプによる曲目刻印は、1970年代中期〜後期のアメリカ製ブートに多い。この時期はスリック・カバーと言って、白ジャケットにシルクスクリーン印刷(謄写版印刷)の粗末な紙が1枚くっついていた。
このへんも似せたわけである。

下のレコードバッグは、現行盤CDのスリーブにもレイアウトを変えて復刻されている。読みにくいと思うが、上の原盤ではファンクラブ案内がニューヨーク、現行盤はちゃんとサンフランシスコのAF1に書き直してある。

上のLOOK HOMEWARD ANGELでは、B面1曲目がWALKIG THE DOGとなっているが、これは間違い。正しくはWALK THIS WAYが収録されている。
こういう曲目間違い(ミス・クレジット)は日常茶飯事。正規盤LIVE! BOOTLEGが、LP4面に収録されているDRAW THE LINEをわざとクレジットしていないか…は、もう説明しなくてもわかるわな。

このカバーを担当したのは、1970年代後半に活躍していたKOSH。個人の名前か事務所の名前かは不明だが、アサイラム・レーベル(ウエストコースト系)の仕事が多く、リンダ・ロンシュタットの「悲しみのプリズナー」「風にさらわれた恋」、最近CD化された映画「FM」のサントラ盤も手がけている。California Jam 2のアルバムも、クレジットは入っていないが写真の使い方、ロゴの入れ方からKOSHの作品と思われる。

※)スタンプカバーの紹介で使用したLED ZEPELINのスタンプカバーは、The Illustrated Collector's Guide to Led Zeppelin 3rd Edition(Robert Godwin著/Hot Wacks press刊)より。

左は、カナダのHot Wacks pressによるブートレグガイドブック「HOT WACKS XV−The Last Wacks」1992年版。年鑑のように毎年出ていたが、これが年鑑最終号。その後、追訂版Supplementが1997年の5号まで出たが、ヨーロッパ製ブートレグ業界が営業停止したため新刊は出ていないようだ。

このThe Last Wacksは、つい最近まで某中古盤屋で500円(!)で投げ売りされていた。1970−1980年代の海外ブートレグを調べるにはいい資料であるが、掲載されている物品は現在市場に出回っていないため、参考になるかどうかは保証の限りではない。

お断り)
歴史的事実としてブートレグとエアロスミスの関係を記述していますが、ブートレグを積極的に賛美する気もありませんし、ブートレグ屋を儲けさせようという気もないことは付記しておきます。聴きたい人は止めませんから、「密やかなる趣味」としてどーぞ。



第5限
トリックの研究/LIVE! BOOTLEG・その3

こんな仕掛が隠されていた。言われないと、気づかないけど
1枚のアルバムで、ひっぱるなー。まだ話は続く。

1970年代のブートレグの特徴というのは
1) カバー(ジャケット)に凝ってない
2) 曲目のクレジットミスがある(今も多い)
3) 収録時間が余ると、年代の違う曲もぶちこむ(今ならボーナストラック)
4) そのテープが手に入らなければ、シングルB面などアルバム未収録曲も入れる
5) 編集やマスタリングに凝ってない。

はい、LIVE! BOOTLEGに当てはめてみましょう。

1) スタンプカバーのまねっこ。レコードバッグ(内袋)曲目表のタイプ打ちも、まねた形跡あり。
2) 4面(CDだと16曲目)のDraw The Lineを、わざとカバーに書いていない。
3) 1973年の、エアロスミス初ラジオ出演のWBCNのテイクが出てくる(4面)。
4) アルバム未収録のシングル曲、Come Togetherを新録音で収録(2面)。
5) 3面のDream On、4面のI Ain't Got Youはカットインで始まる(CD盤は再編集)。

最後の(5)については、1992年の現行・リマスターCD発売時に再編集が行われたので、今のCDで聴くと効果を味わうことはできない(最後の拍手・歓声が消えないうちに、次の面に進んでしまうため)。原盤はLPだから片面約20分で一回休憩、盤を裏返すことになる。ここを計算して、4つの面ごとにストーリー性を持たせていた。

第1面は、当時のオープニング曲Back In The Saddle(Rats In The Cellarも多かったが)で始まって、わずか4曲目でコンサートの最後の曲Toys In The Atticに突入する。わずか1面・18分少々で1コンサート終わり!
第2面は、Last Childと、スタジオライブの新録音Come Togetherで雰囲気を変えておいて、最強のライブテイクと言われるWalk This Way、そしてSick As A Dogへ。
第3面は、会場のざわめきもなく(CDでは2面最後の歓声とクロスオーバーしてしまう)、カットインでいきなりDream Onのイントロが飛びだしてくる。しかもこの曲、1分30秒少々のところでジョーのピッキングがもつれるが、そんなことお構いなしに進む。普通のライブだったら、絶対修正オーバーダビングをしてると思うが。
第4面は、1973年にタイムスリップして、ストーンズのコピーと言われたころ録音、音がスカスカだったデビューしたての生演奏が登場する。そしてDraw The LineとTrain Kept A Rollingで現在に戻ったところでフィナーレ…と。

エアロスミス自伝−Walk This Wayをお持ちの方は、P394-396読み返していただきたい。これだけ予備知識があれば、スティーブン・タイラー、ジャック・ダグラス、ジェー・ペリーのコメントの真意が分かりやすくなると思う。

お持ちでない方のために、少しだけ引用
ジャック・ダグラス「わたしたちがめざしていたのは、ライヴっぽいサウンドのレコードじゃない。安っぽくて、うすっぺらで、いかにもブートレッグぽい音にしたかった。いかにもカセットで録ったような音質に(中略)。コロンビアがこれじゃ出せない、とても商品にできる音質じゃない、と言っていれば、『エアロスミス・カムズ・アライブ』をつくらないでもなかったんだ(以下略)」

ジョー・ペリー「あの時期にライヴ・アルバムを出すのは気乗りがしなかった。すみずみまで手入れ、修理され、オーヴァーダビングされた完璧なライヴ・アルバムが、次々に出ていた時期だったからだ。二枚組のライヴ・アルバム---「業界の慣例」ってやつだ。そういうのは避けて、ザ・フーのLive At Leedsとか、ローリング・ストーンズのGet Ya-Ya's Outとか、キンクスのLive At Kelvyn Hallとか、ほんもののライヴ・アルバムをやるべきだと思っていた(以下略)」

はじめから常識に挑戦したレコードだったわけだ。ジャックが引き合いに出しているのは、前年に全米チャート1位を独走したピーター・フランプトンの「フランプトン・カムズ・アライブ」。LIVE! BOOTLEGは全米チャート13位まで上がったものの、すぐに失速。前作Draw The Lineと2枚続けて「闇夜のヘヴィ・ロック」「ロックス」クラスの大ヒットにならなかったことから、レコード会社側には失敗作の烙印を押されてしまう。

とはいうものの、ここまで説明してきた多くの仕掛けに気づこうと気づくまいと、収録されている演奏自体はとんでもない。衝撃度と生々しさは発売当時から際立っていた。意外にこのCDを買っていない…という人が多いらしい。エアロスミスは2000年現在、4種類の公式ライブ盤を出しているが、このLIVE! BOOTLEGとA LITTELE SOUTH OF SANITYは必修科目。契約の辻褄会わせのLIVE CLASSICS1-2は、前述の2枚と出来ばえが違い過ぎるので、ビギナーにはお勧めしない(ほかのアルバムを買った後で、最後に買ってください)。

ということで、このへんで「LIVE! BOOTLEG」夜話はおしまい。

追記1)
アメリカ盤CDにはDraw The Lineが入ってない…というウワサが出たこともあるが、オリジナルLPを尊重して「原盤同様スリーブに記載していない」「トラック信号を入れていないが、Mother Popcornの後にちゃんと入っている」のが正解。
追記2)
修正してない…とはいうものの、細かい編集はやはり行われている。Mother Popcornのサックスソロの部分は、ブートレグCD「Hot Popcorn」を聴くと、一部が切り落とされたことがわかる。

エアロスミス自伝−Walk This Way
 エアロスミス+スティーヴン・デイビス著
 奥田裕士訳
 ソニー・マガジンズ(2900円+税)
 書店コード・ISBN4-7897-1278-8

エアロスミス本人の証言、関係者インタビュー、過去の記事をていねいに編集した公式バイオグラフィー。ナイン・ライブス発売時までを記載。生い立ちからドラッグ禍など私生活面の記載が話題に上るが、細かく読み込むと当時の録音裏話から公演日のできごとまで出てくる。約600ページ中、結成から1984年の再結成までに8割が費やされている。ちょっと高い&分厚いけど、その価値あります!

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第6限
カバー! カバー! カバー!・その1

ジャケットという言葉は和製英語。LPはカバー、CDとシングルはスリーブという…の巻
やはり画像つきのネタは、わかりやすくていい!
ということで、今回はカバー違いの話。
ファーストアルバム「野獣生誕−エアロスミス1」は、カバーが2種類ある。


左) オリジナル/現行CD
右) Featuring DREAM ONの文字入れ+写真を拡大した改訂版

ちょいと長くなるが、この2枚の順番を整理してみよう。
アメリカ盤日本盤
1) 1973年にオリジナルカバーで発売
2) DREAM ONの文字を入れた改訂版に
3) 初CD化も改訂カバー
4) 現行盤CDでオリジナルに戻る
1) 最初から改訂版カバーで発売
__日本LPにオリジナルカバーはない
2) 初CD化は改訂カバー
3) 現行盤で初めてオリジナルカバー採用
(*) ヨーロッパではLP時代、リマスター前のCD、現行CDともにオリジナルデザイン
現行盤CDは、1992年アメリカ発売のリマスター音源を使ったCDのこと

若いファンは左のオリジナルしか知らないだろうし、古くからのファンにとっては「右じゃないとファーストじゃない」という愛着あるデザイン。改訂したのはレコード会社(CBSコロムビア)だが、この選択は正しい。はっきりいって、インパクトは改訂版のほうが強い。特にLP時代のでっかいカバーで見ると。

もう一歩踏み込んでみようか!
ジョー・ペリー:そしたらコロンビアが、アルバムにはライナーノーツが必要だと言いだしてきた。
(エアロスミス自伝−Walk This Way/P.211から)

ファーストアルバムは出来上がったものの「だれも知らないバンドだから、アルバムのカバー裏面にライナーノーツ(この場合は推薦文)を入れろ」って、レコード会社が言いだした…という話。

左) アメリカ・オリジナル盤LPの裏側(*)。上に文字が多いのはライナーノーツ。
中) 改訂アメリカ盤LP・日本盤LPの裏側。ライナーノーツは消されている。
左) 現在のCDの裏スリーブ
*左で使った僕のLPはラジオ局用サンプル盤のため、下部に宣伝用シール(サジェストカッツ)がついている
 なお上の白黒カバー2枚の色の差は、オリジナルのほうが黒くて、後発のほうが灰色っぽい。

1992年のリマスターCDで、CBS時代の12枚のスリーブはオリジナルデザイン(に近いもの)に統一された。このファーストの裏面が白黒からカラーに変更されているところをみると、企画時はカラーデザインだったけど、LPを出すときに白黒印刷しかしてもらえなかった…と僕は推測している。もし最初から白黒印刷と決まっていれば、白黒フイルムを使うのが普通(カラーポジから白黒に反転すると、中間色が飛んでしまって鮮明に映らない)なんてことは、カメラマンなら分かってるはずだ。

デイヴィッド・クレイブス:エアロスミスのアルバムは、ブルース・スプリングスティーンのと同じ日に発売された。スプリングスティーンのほうがフォークっぽいCBSの社風には会っていたから、会社はエアロスミスに1ドルかけるごとにその100倍をあの男に注ぎ込んだ。コロンビアはハード・ロックで一度も成功したことがなく、その分野はもっぱらアトランティックに牛耳られていたせいで、エアロスミスは完全に継子扱いされていた(エアロスミス自伝-Walk This Way/P.215)

裏面のカラー印刷代もけちられてるんだから、この「継子発言」も納得できるんじゃなかろうか。本当に援助なくしてデビューしたんだなぁー、エアロスミスは。

もういっちょ!

上が初版カバー裏/レコード番号 KC 32005
下が改訂カバー裏/レコード番号 PC 32005
拡大率は同じ。初版のほうが、ライナーノーツがあるぶん文字が小さい。

超マニアの話1
オリジナルカバーのほうが数が少ないぶん、中古レコード屋さんは「初版。レア!」なんていって高く値段をつけて売ってる。

オリジナルカバーにも初版と再プレスで違いがある。本当の初版は左のように、WALKIN’ THE DIGと見事にミスプリントしてる。再プレスでは、DOGに修正されているので要注意。価格は初版・再版で10ドルは違うはず。

この盤は通販初挑戦のころ、アメリカのVinyl Vendersで25ドルで買った。最近は通販利用者も増えたのでなかなか発掘されない。

超マニアの話2
カバーを変えた時に、コロムビアは中身も変えようとした形跡がある。
アルバムの発売は1973年1月だが、DREAM ONがシングルになったのは同年6月。

スティーヴン・タイラー:CBSは6月に、編集してリミックスした「ドリーム・オン」のシングルを出した。(エアロスミス自伝-Walk This Way/P.232)

シングルチャート59位まで上がったリミックス版「ドリーム・オン」は、日本でもシングル発売された。LPのDREAM ONも、このヒットした女性コーラス入り+短縮版シングルテイクに差し替えようとした跡が残ってる。ヒット曲(と同じテイク)が入ってたほうが、売れ行きは伸びるはずだしね。

改訂版カバーには、DREAM ONに「*」印が入っていて(上を参照)
*Remixed and additional recording supervised by Ray Colcordの文字が(これは上のイメージには載ってません。もっと右に書いてある)。
初版・改訂カバー盤を聴き比べても同じだし、マトリックスも同一なので、このさしかえアイデアは、カバーに痕跡は残ったものの、ボツになったのではないだろうか。もっとも、そういう差し替え珍盤が存在する可能性は否定しきれないが…。

注)マトリックス=LPの送り溝(リードアウト)に刻印してあるレコード工場の規格番号。曲の差し替えが行われると、レコードを作るスタンパーも新しいものに変わるため、カバーやカタログ番号は変わらなくても、工場規格番号=マトリックスは必ず違うものになる。レコードマニアが初版・2版を見分けるときに目安にする、普通の人にとってはどーでもいい番号。



第7限
カバー! カバー! カバー!・その2

しまったぁー! その1でやめておきゃよかった。とほほ…の巻
残り4回となりました。ネタはもつのでしょうか?
きょうは、重箱の隅の隅のネタ。

途中でスリーブが変わったアルバムというのは、結構ある。


DONE WITH MIRRORS
左) 日本初版CD
右) 途中で2回変わったが、最初の変更(現行盤はAウイングなし)
右) アメリカ盤現行CD(途中で2回変わった)
> 米盤初期CDは反転文字、正方向文字、Aウィング正方向=の順番

どっちが上なのか大変悩むカバー。LPの場合は、AEROSMITHの文字が上に行くデザイン(上のイメージと天地が逆)になっていて、どっちが正しい方向なのか、くだらないことで頭がイタクなる。上で紹介したのは日本初版CD(ソニー32DP-288)。
鏡を使うと、正しい文字になるというアイデア。再結成という話題性にも関わらず、イマイチヒットにならなかったのは、内容面の問題もあるけどカバーも悪かったんじゃないかい。地味な上に、一番重要なエアロ・ウィングがない! アメリカ盤では、後に文字逆転で出回っている。日本盤CDはオリジナルどおり逆転したまま。


NINE LIVES
左) 初版
右) 改訂版(現行版)

オリジナルの絵柄はヒンドゥーの神を描写したロード・クリシュナの絵と酷似しており原画を冒涜するものだと、アルバム発売直前にクレームがついた。版権を買い取って著作権上の対処をしたものの、ハレ・クリシュナ信者から抗議と脅迫が続いたので急遽デザイン変更。……と書くと、「初版は珍しいんでしょうか?」という質問が出るかもしれないが、変更前の段階でアメリカ盤だけで300万枚近くが出荷されているので、稀少価値はありません。


参考出展:DRAW THE LINE
左) オリジナル・カバー(現行盤も同じ)
右) アメリカ盤LPには、上と左にステッカーがついていた

日本盤LPは帯が付いていたからいいけど、アメリカ盤LPはカバーに題名もバンド名もないわけです。もしも新人だったら、レコード会社から「カバーを変更しろ!」とクレームが入るわな。何も書いてないカバーって、LED ZEPPELIN IVじゃないんだから。
参考)右のステッカー付きアメリカ盤LP、今年の春に600円で買った。

このあたりからも、“登り詰めたら後は落ちるだけ”に気づいていないエアロスミスの「慢心」を感じ取ると言ったら言い過ぎでしょうか。こういう面でも問題作、Draw The Lineのカバーであります。レコード会社は苦肉の策として、シュリンク(包装用ビニール)の上にエアロ・ウィングとDRAW THE LINEのステッカーをつけて出荷。左に付いているのは「FEATURING HIT SINGLE : DRAW THE LINE」の丸ステッカー。全米トップ10ヒットが出ると、当時はよくアルバムに張り付けたもの。……ただし、DRAW THE LINEのシングルはトップ10に入ってないけどね。


DRAW THE LINE : CD初期盤

左) アメリカでの初CD化。コレクターズ・チョイス盤
右) オーストラリアでの初CD化盤

左は1980年代末期に、初めてDRAW THE LINEがCD化されたときのアメリカ盤。まだ旧譜のCD化が少ないときで、“名盤シリーズ”みたいな感覚でCOLLECTER'S CHOICEシリーズが出た。いろんなバンドが同じ「額縁」デザインで出たが、その1枚。

右はオーストラリアでの初CD化時のもの。上でも述べたようにオリジナルでは売りにくいと思ったらしく、題名とエアロ・ウィングを無理やり合成している。

ただ、この2枚はコレクション用には楽しいが、内容的にはオリジナルとたいして変わらないので重要ではない。

ところで、なぜ「しまったぁー! その1でやめておきゃよかった。とほほ…の巻」かというと…。


アメリカ盤「GREATEST HITS」CDは、このSMITHの右ウイング。日本盤CDはAEROが見える左ウイングなのだ。日本盤CD、持ってなかったのよ。ああ〜、ボロが出た(笑)

補足) 「Akiraさんが持ってないということは、稀少盤なんですね?」という質問が来ました。僕はアメリカ盤で3枚持ってるので、日本盤はいらないや…と思って買ってなかったのが、今回資料を作ってたら持ってなくてあれあれ困った…なんです。今も左ウィングの日本盤CDは、普通のお店で1600円で売ってますので、稀少価値はありません。はい。



第8限
天使のミステリー:ANGEL-New AOR mix

こんな簡単なことに気づくのに12年かかった…の巻
現在廃盤になって、探している人が多いのがVACATION CLUBというミニアルバム。
内容はたいしたことはないのだが、エアロスミス全曲解説が「コレクターの登竜門的存在」なんて書くものだから、無理やりレア盤にされてしまった日本盤CDである。当時の12インチリミックス・バージョンがが収められているが、ラストを飾る「Angel (New AOR Mix)」は、聴いた人のほぼ大半が首をかしげる。

どこが違うんだ?

海外シングル(特に宣伝用プロモ盤)に多いのが、AORミックス、CHRミックスという表示。短く編集されていたりすると、まだ納得いくのだが、「ANGEL-NEW AOR mix」「F.I.N.E.-AOR mix」は悩むぞぉー。アルバムバージョンと、どこが違うんだ?

僕の見つけた答えを書くと、実はアルバムバージョンと同じなのだ。
このAORミックス、CHRミックスというのは、本来ラジオ局用のバージョン。ラジオで流してもらう時に、かけやすく+聴きやすくするために音圧を変えたもの。曲自体をいじったかどうか…クラブ用にリミックスしたものとは性質が違う。もちろん、少しでも多くの曲をかけたがるラジオ局用に、イントロを異常に短くしたテイクや、ギターソロを切り落とした編集テイクもあるが。

音圧を変えるというのは、「TVを見ていてCMになると音が大きく聴こえる」現象だ。

放送局でボリュームをコントロールしているのではなく、レベル設定が番組とCMで違うのだ。詳しく説明すると、こういうことになる。
MDやカセットに録音するとき、大きく録音しようとしてレベルを上げ過ぎると、音が割れる。そうならないよう、リミッターでピーク(大きい音)を抑制しながら、全体的に大きい音にするわけだ。こうすると、曲のダイナミックレンジ(一番大きい音と、一番小さい音の幅)を狭くしまうかわりに、曲全体の音が粒立ちよくはっきり聴こえる。特にCMで流れる曲の場合には効果的。ラジオも同じ。

AORミックス、CHRミックスというのは、こういう放送局のテクニックを使い、あらかじめ「ラジオ向きの音」に直している。「F.I.N.E.-AOR mix」はプロモ盤しか出てないから問題ないが、「ANGEL-NEW AOR mix」はシングル盤で市販するから、混乱が起きるのだ、まったく。

もし「お前の解釈は違う。あそこの箇所が変わってる」という方、いらっしゃいましたら、ぜひ具体的に教えてください! マジにお願い。
余談)エアロスミス自伝−Walk This Way/P.286の上段9行目で、ジャック・ダグラスがラジオ局のリミッターについて述べている部分があります。


実は、ANGEL-New AOR mixの謎が解けるまで、12年もかかったのだ。とほほ。
AORの意味を勘違いをしていたからなのだな。

AORは、アダルト・オリエンテッド・ロックの略…というのが、日本での一般的な認識。
ロック系シンガーソングライターや、スティーリー・ダンなどの“あまりうるさくなくて、サウンド練り上げ系ロック”をアダルト・オリエンテッド・ロックと呼ぶが、これにだまされていると「AOR mix」の答えにたどり着かない。もう1つ、解釈がある。ラジオ局だ。

AOR=Album-Oriented Rock (別名・Classic Rock)
アメリカのラジオ局を分類する呼び方の1つ。起源は1960年代中期に逆上る。最新ヒットのみを流すAMのトップ40局に対し、商業ベースにのらない歌(ボブ・ディランやジョーン・バエズなどのプロテストソング、ベトナム戦争時の反戦歌など)も積極的にオンエアした。

トップ40局では流す曲をキーステーションから厳密に指定されるのに対し、選曲が自由でシングルカットされていない曲や長い曲(例・レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、ニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」等)も流してしまう。1970年代の代表的AOR局の1つとして、ボストンのWBCNも数えられている(現在は様変わりしたようだが)。
どうりで、「ドリーム・オン」がシングルになっていないのに、WBCNはプレーし続けられたわけだ。

参考)
ボストンのトップ40AM局WRKOが、エアロスミスのコンサートを主催したのに「ドリーム・オン」を1回もかけなかったため、スティーブンが怒っている記事がある。
スティーヴン・タイラー:インタヴューまで受けたのに、それでもレコードはかけようとしない。ボストンじゃみんなに知られていたのに、WRKOは地獄から送られてきた厳密なプレイリストがあって、絶対「ドリーム・オン」を追加しようとしなかった。
(エアロスミス自伝−Walk This Way/P.232)

CHR=Contemporary Hit Radio
最新ヒット、トップ40ヒットを流すラジオ局。厳格なプレーリストに制限されるAM型トップ40局に代わって、1970年代末期から1980年代初頭に誕生したが…。基本的には同じもの。

※)アメリカのラジオ事情については、COM 418 (TOPICS) Radio Programming and Productionを参考にした。
※)ニール・ヤングの「Hey Hey, My My(Into the Black)」=さびて朽ちるなら、燃え尽きたほうがいい…と歌った歌。アルバム「ラスト・ネバー・スリープス」1曲目。アルバム冒頭ではアコースティックで、ラストの「My My, Hey Hey(Out of the Blue)」では怒濤のロックで聴かせる。


「ANGEL−New AOR mix」は、最初に聴いたときから「どこが違うんだろう?」と疑問に思っていた。AORの意味を間違えて、アダルト・オリエンテッド・ロックと勘違いしていたんだな。「じゃ、ソフトにしたのか?」と聞きなおしてみるが、ギターも元気に入っていて、違いがわからない。
今年の春に、アメリカ盤CDシングル「ANGEL」を手に入れて、やっとわかった。このシングルには、アルバムバージョンとAOR mixが連続して収録されている。音圧レベルが違うなんて小さな差だから、同じCD盤で聴き比べないとわからないわけだ。

パーマネント・バケーションとバケーション・クラブ、別のCD2枚での聴き比べは、マスタリングの段階でレベルにばらつきが出るから絶対判別できないのだよ。ましてアナログ盤じゃ判別しにくい。

「違いはない。結局同じ」という結論を引き出すのに、また長々書いてしまったが、リサーチ(調査研究)なーんてこんなものだ。使えるネタ1つ掘り起こすのに、たくさんの回り道。今回は途中で、エアロスミスと縁の深いボストンのラジオ局・WBCNについての発見があったから、まだ収穫が多かったほう。

ラスト2回は、DRAW THE LINEの謎、GET YOUR WINGSの謎に決定!
さて、どんなネタが飛び出しますか?



第9限
1977年のドロー・ザ・ライン

野中ディレクターの仕掛けたトリックに、みんなハマった
3枚組の「パンドラの箱」が出たとき、一番驚いたのは「DRAW THE LINE」のリアルステレオ・リミックスが入っていたことだった(Disc2-17)。ああ、おれと同じことを考えるヤツがいたんだな…と、このアルバムの監修者に感謝したものである。

オリジナル「DRAW THE LINE」(曲のことね)の、モノラル同様の混沌とした分厚いサウンドには、出た当時から疑問を持っていた。もちろん「どっちが迫力あるか?」と聞かれたら、絶対オリジナルのジャック・ダグラス・ミックスなんだけど。もし、ステレオだったら…と想像したものだ。このミックスの解読は、また別の機会に。

もう1つ納得できなかったことが、当時の日本のメディア(音楽誌)が、このアルバムをこぞって傑作と評価したことさだ。僕がDRAW THE LINEについて書くとき、「発売当時は」と断った上で否定的な記述をすることが多いのは、このせいだ。
古本屋で当時の音楽雑誌を見ればわかるけど、メディアは絶賛、でもファンは(少なくとも僕は)困惑した。ファン側の立場からの、書き残されなかった声の歴史的記述を僕は心がけているわけ。このアルバムが嫌いかと言われたら今は大好きだ。ただ当時は納得できなかった。

この謎も近年解けた。恋川碧子&ルーディーズ・クラブ編の「ウォーク・ディス・ウェイ」(通称・黄表紙)に、当時の担当ディレクター・野中規雄氏の証言がある。

野中規雄:自分の仕事としてね、『ロックス』に比べて『ドロー・ザ・ライン』はきついかもしれないという印象と、(直前にアメリカまで)コンサートを観に行って、いつもと違うエアロスミスの危険な匂いを感じたことで、自分はエアロスミスのために、あるいは会社のために、どうやって『ドロー・ザ・ライン』を位置づけて、どうやって売っていくか、プロとしてのテーマにぶち当たった。そこで考えたのが、音を渡す前に評価を決めてしまおうということだった(略)。
意見を求めたら、悪い意見が出る可能性がある。「今度のアルバム、野中さん、どうなんですか。本当のところは」って言われかねないので、「このようなアルバムなので、このような書き方をしてください」って出たわけだよね。レコード会社の担当ディレクターであると同時に、エアロスミスのもっともよき理解者が言うんだから、その通りなんだっていう手法。こんな危険なやり方は何回も使えないけど、そうでもしないと、みんなが引いてしまう可能性があった。これは今だから言えるのであって、当時は、言ってしまうと、もうエアロスミスの人気は危ないという気がしていたんだ(略)
(恋川碧子&ルーディーズ・クラブ編「ウィーク・ディス・ウェイ」P.46)

野中氏は、ほかにもナイン・ライブス宣伝ブックレットの中で、初代エアロ担当ディレクターとして「ドロー・ザ・ラインの音を聴いた瞬間、やばいと思った」と証言している。

なーんだ、みんなそう思ってたんだ。おれが聴いて感じたこと、間違ってなかったんだ(笑)。子供のころ見損ねてずっと気になっていたアニメの結末を、大人になってやっと知ったみたいんもん。あー、すっきりした。

ウォーク・ディス・ウェイ
 恋川碧子&ルーディーズ・クラブ編
 シンコー・ミュージック(2500円+税)
 書店コード・ISBN4-401-61555-7

エアロスミス自伝−Walk This Wayと同名だが、出版はこちらのほうが早い。エアロスミスを日本に紹介した野中ディレクターへのロング・インタビューや、初来日時のエアロスミスの15日間密着滞在記録は必読。1977年当時から新宿のそば屋に行ってるという記載はナンなんでしょ…。
また雑誌の再録では、直筆アンケートで初来日当時はスティーブンが1951年生まれと年齢詐称している事実も発見できる。
どれか1冊と言われたら第5限で紹介した黒表紙「自伝」を推薦するが、自伝を読み終わった、または当時からの年季の入ったファンには本書(黄表紙)もお勧めしたい。

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宿題その1)
ビートルズは、モノラルLPとステレオLPでテイクが違う、歌詞が一節違うと超マニアックな研究材料がたくさんある。実は、アルバム「DRAW THE LINE」にはそういう話題を展開する余地がある。

その1) LP時代は1曲目のDRAW THE LINEで、曲が始まって10秒で左トラックに、テープがドロップアウトするようなノイズが走る。シングル盤では、日本盤とアメリカ盤でノイズが入るトラックが左右反対。現在のリマスター盤CDではノイズが消されている…など。
その2) 8曲目のSIGHT FOR SORE EYESの最後、オリジナル盤はコーラスがフェードアウトした後でテープ逆回転のような「ふぅわぁー」が一瞬流れて、間髪いれずMILK COW BLUESへ突入。アメリカCollecter's Choice盤とリマスターCDは、「ふぅわぁー」がなくて、かわりにMILK COW BLUESのイントロが2音長い。どっかでマスターテープの混乱が生じている。

宿題その2)
分厚くて疑似モノラル、まるでフィル・スペクター・サウンドをまねたような「DRAW THE LINE」だが、ジャック・ダグラスはそれ以前にも同様のサウンドをアメリカ盤シングル「Back In The Saddle」で試している。イントロが異様に短く編集されていて、初めて聴いたらずっこけること間違いなし。

ただし日本盤シングルはマスターテープをアメリカから取り寄せずにカットしたので、アルバムと同一テイク。このように、シングル盤は全部検証して、実際に聴いて書かないとわからないことが多い。とはいうものの、1970年代のアメリカ盤オリジナル・シングルはなかなか手に入らないのだ。
だれか調べて、教えてちょーだい! これまたマジメなお願い。



第10限(最終回)
ジャック・ダグラスの伝説

僕のイチバン好きなアルバム、GET YOUR WINGSについて
今年3月、エアロスミスの第1期黄金時代を築いたプロデューサー、ジャック・ダグラスのインタビュー記事が、アメリカのラジオ局KNACのサイトで公開された。
その記事、Kickin' Back with Jack Douglasを呼んで吹っ飛んだ。現在もトップからリンクを作っているが、その記事からエアロスミス関連部分の翻訳してみた(かなり意訳してます)。

ジャック・ダグラスとエアロスミスの出会いは、エアロスミス自伝−Walk This Wayでは、彼の事務所のボスあるボブ・エズリンに依頼があり、気乗りしなかったボブから「ヤードバーズが好きだったら、一度エアロスミスのステージを見てきては」と勧められたことになっている。

このインタビューではもう一歩突っ込んで、1973年のニューヨーク・ドールズのデビューアルバム録音時のことも述べている。プロデューサーのトッド・ラングレンがバンドをコントロールできず作業を断念。ミックスダウンまでスタジオに顔を見せず、実質的に録音を仕切ったのが、チーフ・エンジニアだったジャック・ダグラス。そのアルバムを気に入ったニューヨーク・ドールズのマネージメント(リーバー/クレイブス)が、次にエアロスミスの仕事をジャックにオファーしてきたと言っている。

どっちも間違いではないと思う。セカンド「GET YOUR WINGS」には製作総指揮にボブ・エズリンがクレジットされているから、話は最初は事務所のボス、ボブに持ち込まれたのだろう。
以下は、インタビューの原文と大意

KNAC: What was your initial impression of Aerosmith?

JD: I saw them at a high school in New England and was blown away-they were noisy and full of energy like the old Yardbirds. So, we brought them down to the Record Plant in New York and began Get Your Wings.

KNAC:最初に見たエアロスミスの印象は?

ジャック:ニュー・イングランドのハイスクールで見たんだが、吹っ飛んだね。かつてのヤードバーズのようにノイジーで、エネルギーに満ちあふれていて。それで彼らをニューヨークのレコード・プラントに連れて行って、「飛べ!エアロスミス」の録音を始めたんだ。

KNAC: Rumor has it that Joe Perry and Brad Whitford aren't the only guitarists on that record-true?

JD: Yes, that is true. Brad wanted to make the guitar parts really technical and neither he nor Joe were up to that skill level yet, so I brought in Hunter and Wagner, the guys who'd also ghosted on all the early Alice Cooper discs. Those flashy, brilliant solos in "Train Kept a Rollin''' and "Same Old Song and Dance" are Hunter/Wagner. Later, they sat Joe and Brad down and taught them everything they'd done. By the next disc Toys In The Attic, we didn't need them. Strangely enough, the band wasn't against using the session guys, especially Steven Tyler. They wanted a hit-they got one.

KNAC:噂によると、このアルバムはジョーとブラッド以外にもギタリストがいたと…。

ジャック:ああ、事実だよ。ブラッドはギター・パートをテクニカルなものに仕上げたかったのだが、まだ彼もジョーもそこまでの腕がなかった。そこで私は、ハンター&ワグナーを呼んだんだ。彼らはアリス・クーパーの初期の録音にも影武者として参加している。つまり、TRAIN KEPT A-ROLLIN'とSAME OLD SONG AND DANCE、この2曲の素晴らしいソロはハンター&ワグナーによるものだ。その後で彼らはジョーとブラッドを座らせて、どう弾いたのかすべてを教えこんだ。次のアルバム「闇夜のヘヴィ・ロック(TOYS IN THE ATTIC)」じゃ、もうハンター&ワグナーを呼ぶ必要はなかった。奇妙なことだが、バンドはセッションマンを導入することに反対しなかった。特にスティーブンはね。彼らはとにかくヒットが必要だった。そして彼らは成功を手にしたのさ。

KNAC: And Rocks was their peak, I think. Why was that record so amazing, in your humble opinion?

JD: For one thing, we cut all the basics at their rehearsal space, the Wherehouse, in Boston's suburbs. A big, metal, roaring, huge room. I used stage monitors in with them to blow the sound right back at them. And that's when they started to stretch out. Joe would ask what he ought to be listening to and I'd hip him to John Coltrane for solo ideas - and he'd try to get that! Even in pre-production, I knew it was great. I have cassettes of the evolution of every song on that record, and you should hear "Back In The Saddle" as it evolved from Joe's basic lick to the monster it became. Wanna know what the secret to Rocks was? Distortion. Everything is totally over-loaded. When I brought it to the record company, they panicked at first, but not for long.

KNAC:私はロックスが頂点だと思うのですが…。あの驚異の録音はどうやって?

ジャック:ベーシックトラックは全部、ボストン郊外の彼らのリハーサル場、WHEREHOUSEで録音した。大きくて、喧騒に満ちたメタリックな場所さ。私はステージモニターを使って、サウンドがライブ同様直接体感できるようにセッティングした。そこで曲を発展させていったんだ。ジョーが何かソロの刺激になる音楽はないか…というので、僕は(ジャズの)ジョン・コルトレーンを聴いてみたらいいと答えたんだ。ジョーはそれにトライして、見事モノにしたよ! 録音初期段階から、このアルバムがすごいものになることはわかっていた。私は曲の進化を記録したカセットを持っているが、それを聴いたらどうやってジョーのひらいたリフが、BACK IN THE SADDLEというモンスターに変貌していったかわかるよ。ロックスのサウンドの秘密を知りたいかい? 歪み(ディストーション)だよ。すべてに、過重な負荷をかけている。レコード会社に持って言ったときは、連中は最初パニクったよ。それほど長い間じゃなかったがね。

KNAC: They seemed to go right into the dumpster after that disc, though.

JD: Heroin is what did it. They came in with no songs, which was nothing new. They'd bring seedlings of music and we'd make that into songs. But I couldn't get them all in the same room anymore. Joe and Steven were smacked out and the "LI3" (''less interesting 3, as Whitford, Hamilton and Kramer referred to themselves) were coke-crazy. All day they'd be doing anything but music, shooting guns, getting high, whatever. That's why Draw the Line is the way it is.

KNAC:順風満帆に思われましたが、その後で…。

ジャック:すべてはヘロインのなせる技だ。(次のDRAW THE LINE録音のときには)彼らは歌を書いてこなかった。何も新しいものを持たずにやって来たんだ。バンドが音楽の苗木を持ってきて、それを僕たちが音楽にしていく。だが、私は同じ部屋にいながら、もうバンドをコントロールできなくなっていたんだ。ジョーとスティーブンはけんかを繰り返し、残りのLI3(面白みのない3人−ブラッド、トム、ジョーイは自分たちのことを自嘲的にそう呼んだ)はコークでへろへろだった。1日中、彼らは音楽をやらずに銃をぶっぱなしては、ハイになっていた。DRAW THE LINEがああいう出来にあなったのは、そういうわけだ。

エアロスミス自伝−Walk This Wayにも書かれていなかった「GET YOUR WINGSのアルバムには影武者がいた」発言には、驚いた人も多かったようだ。しかも、アルバムのハイライトともいえる2曲「エアロスミス離陸のテーマ(SAME OLD SONG AND DANCE)」と、「ブギウギ列車夜行便(TRAIN KEPT A-ROLLIN'」のソロが、セッションマンのハンター&ワグナーによるものだったとは。


僕は驚く反面、やっぱりそうだったのか…というのも正直な感想だ。ファースト「野獣生誕」が素のエアロスミスだとしたら、セカンドは一気に3段階くらいレベルアップしてる。このアルバム録音前後に記録された非合法音源のTRAIN KEPT A-ROLLIN'で、まだあのカッコいいソロギターを弾けていないのに…。

もう1つ、「不思議なことに、バンドはセッションマンを使うことに反対しなかった。特にスティーブンは」のくだり。プロ指向の最も強かったスティーブンらしい態度だと思う。だれにギターを教えてもらったわけでもないジョーとブラッドが、ハンター&ワグナーというプロの技を目の当たりにしたときはどうだったんだろうか? “建て前よりもヒットが欲しかった”セカンドがコケたら、もうおしまい。プロとして生きていけるかどうかの瀬戸際の5人はどうだったんだろう。そんなことを思い浮かべてみるのも楽しい。

自分たちのまだ作れない、追い求めているサウンドをハンター&ワグナーにリードしてもらって、そのレコードをお手本に突き進んでいったのかな…と思う。約1年半後、1975年8月にラジオ「KBFH(キング・ビスケット・フラワー・アワー)」に出演したときは、問題の2曲も自分のモノにして完璧に弾きまくってる。

ロックオヤジ&ママ軍団の集会で、何回か質問を投げかけたことがある。
「1974年にハードロックは何があったっけ?」

出てくる答えはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスにユーライア・ヒープ。イギリス勢ばかりだ。アメリカ勢では、既にMC5、カクタスは解散していたし、ハードロックと言えるのはグランド・ファンク・レイルロード、出始めのZZトップくらい。キッスもまだ火がついていなかったし、カナダ勢のバックマン・ターナー・オーバードライブが、3枚目のアルバムからヒットを出した程度か。

ハードロックの“谷間”の時期、1974年。「飛べ!エアロスミス」は、アメリカのバンドがイギリスの伝統芸、ヤードバーズやレッド・ツェッペリン型のロックに挑戦した革新的なアルバムだったのではないか…と思う。大ヒットにはならなかったものの、ZZトップらとの東海岸重点ツアーで、その知名度+売り上げを上げていったわけだが。全体の曲調が単調だろうと、精一杯背伸びをしてシャカリキになってる姿が僕は好きだ。



Copyright : Akira 1999-2000